2009年5月 3日 (日)

きこくのごほうこく

4月30日夕刻、帰国しました。

最後は南アフリカ・ケープタウンから、50ヵ国めの訪問地カタールのドーハへ。

ドーハでは「カタール航空の乗り継ぎ客はビザ代、ホテル代、3度の食事と空港からの送迎無料」という棚からぼたもち的幸運に恵まれ、一泊3万円超の4ッ星ホテルに半日滞在。

セレブ気分覚めやらぬまま最後のフライトにのぞみ、豚インフルエンザにわく関西国際空港に降り立ちました。

アジア→中東→ヨーロッパ→北中米→南米→南極→アフリカと見事にUの字を描いた世界一周未遂。

ちょうど50ヵ国、1000日を超える旅になりました。

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帰国後2日間、一緒に過ごした父親によると、僕はすごくスローになったらしい。

たしかにご飯を食べたり、新聞を読んでいるうちに深夜になってしまう。

アフリカ人のおしゃべり好きや、南米人のいいかげんさや、北米人の自己主張や、アラブ人のマイペースが、いつの間にかうつってしまったのかもしれない。あんなに嫌だ嫌だと思っていたのに。

それは、いつか薄れ、消えていくものだろうか。

やったことよりは、やれなかったことを数えてしまう不幸な性格なので、「次の旅で・・・」と狙っている場所をあげると、

「失われた世界」南米ギアナ高地と、落差がありすぎて滝が霧になり散ってしまうエンジェル・フォール

・大地がベリーの色に染まるアラスカの短い秋と、オーロラ

・西アフリカ、サハラ砂漠の王国マリの摩天楼

・メキシコの水晶の洞窟と、グァテマラも含めて南部のインディヘナの村々。

・中国からヒマラヤ山脈をチベット~ネパール~インドと抜けるルート......

世界は広いということ。

1000日の旅を終えたあとでも、世界は広いということ。

そのことが、ほんとうに、うれしい。

しばらく関西にいます。

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2009年1月15日 (木)

前門のアフリカ、後門のアルゼンチン

豪華南極クルーズのドレスコードのため、スーツやドレスやハイヒールや、いろんなものを買った私たち。

ちなみに、かつて「南米一高い」と言われたチリは今、サブプライム問題以降の世界不況でドル安×ペソ安。ドルの対円相場が下落しているのに加え、チリペソの対ドル相場も下落しているので、半年前に比べ何割も安い値段で買い物ができてしまう。たとえば奥様のジーンズ2本で4千円。旦那のスーツ上下で4,500円。南米の先進国チリはショッピングモールが充実、デザインもいい感じ、さらにカトリックの国のため12月はクリスマスセール! 私たち円高成金は毎日のように荒らしに行っては、たいして考えもせず買いこんだものでした。

そして現在。

はかなくもクルーズ船から追放され、バックパッカーズの6人ドミに身を寄せる私たちは、分不相応の荷物を前に困り抜いた。
貧乏旅行者にはどう考えても不要なものが・・・12kg以上?

日本に送るのがいいのだが、ここアルゼンチンの郵便事情は最悪。10kgで1万円ぐらいかかる上、送った荷物は開けられて中身を抜かれてしまうらしい。アルゼンチンの人に聞いても「だいたい50%の確率でやられてるわねぇ。ワインは100%盗られるわよ」だそう。「本当にモラルも何もなくなっちゃって・・・」って改善するきざしはないんですか!?

といって、次の目的地は南アフリカの私たち。
12kgのスーツやドレスなんて、猛獣の巣に肉を捧げもっていくようなものなんじゃ・・・(妄想)

迷い、ネットで検索をかけまくった末「前門」南アフリカまで持っていって荷物を送ることに決めました。

というわけで、1月後半に南アフリカに飛びます。
南アとナミビアはレンタカーでライオンやキリンや砂漠を見まくる計画。不況の日本に嫌気がさした人、不況をあおりまくるマスコミに嫌気がさした人、南アフリカのケープタウン集合です(要普通免許・オートマ限定不可)。 海外では日本(円)は強いぞ!!

ただし、デンターシステマのヘッド「小」、硬さ「ふつう」を持ってきてくださいね!

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2009年1月12日 (月)

楽園追放

皆さん、クリスマスはいかがお過ごしでしたか? 私は南極にいました。

私たちを南極に連れて行ったのは「ms Amsterdam」という豪華客船。チリのバルパライソを出航後、フィヨルドや氷河を見つつ南米大陸西岸を南下。ケープホーンを過ぎ、魔のドレーク海峡をくぐり抜け、私たちはいよいよ南極へ。50m先も見えない吹雪で迎えられた南極も、2日目、3日目と過ぎるうちに「この船の航海史上、こんなに晴れた日は珍しい」というほどの好天に恵まれ、暗い海に浮かぶ巨大な氷山、そそりたつ岩山、逆落としに崩れ落ちそうな氷河・・・とスケェルの大きな自然を満喫したのでした。

世界中の氷の90%が集中し、内陸部では氷点下90度をも記録するという極南の地にも、岩場を埋め尽くすペンギンのコロニィや、海面を破ってジャンプする鯨、船を訪れて心を和ませてくれる鳥たちなど、命が息づいていたこともご報告しておきます。

その厳寒を眺める船の中で繰り広げられていたものは、毎日がコース料理(メインは6品から選ぶ)、朝から続くビュッフェ、夜毎のショー、フォーマルデイの着飾った紳士淑女たち、インドネシアンクルーの笑顔など、「クルゥズ」という名の酒池肉林。

私たちも「セレヴ」に混じって快楽を貪り、やがて「このステェキ少し硬いね」などと言い出す始末。そして、この日々が永遠に続くかと思われた12月30日、ブエノスアイレスの汚い港にぷっと吐き出されたのでした。そのとき私の頭に渦巻いた、住み慣れた我が家を追われるかの如き郷愁、この年の瀬に右も左もわからぬ異国に放たれる心許なさ(本当は3度目のブエノスだけど)、ご想像いただけますでしょうか?

どうかこの一年も、皆様にとって良き年となりますよう。

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2008年11月28日 (金)

バス故障につき、テレレう

日本は寒そうだが、南米はこれからが真夏。

からっからに乾いたでっこぼこの道を、僕らを乗せた一台のバスが走り・・・・止まった。
場所は、パラグアイとボリビアの国境にひろがる乾燥地帯。
窓から見ていると、オーバーヒートなのか悪路にやられたのか、運転手がエンジン部を開けてごそごそやっている。あやしげな水がぴゅーっと噴き出す。
乗客の大半は、後からやってきた別のバスにそそくさと乗り移ってしまった。が、行き先もわからず地図も持っていない僕らには、バスと心中するより他に道がない。そんな人が他に7人、バスの行く末をじっと見守っている。

気温は45度を超え、かんかん照りの、無風。
バスが去った後は誰も通りかからず、3時間が経ち、4時間が経ち・・・
ペットボトルの水は半分になり、1/3になり、ほとんど空になり・・・

あまり動かないバスに心配になったのか、近くに住む農夫がやってきて、バケツ一杯の水を差し入れてくれた。よく見ると道の奥に人家があったらしい。
木陰にバケツを据えて、みんなで頭から水をかぶる。
あー本当にひからびてミイラになって死ぬかと思った!

話してみると、地元ボリビアの人はみんな先のバスで脱出していて、残っていたのはパラグアイのミュージシャン2人組や、きのこ栽培で成功したおばちゃんや、アルゼンチンの旅好きのおじいさんや、ペルーから仕事で来ていた若者や、子連れ家族・・・・遭難といっても過言ではないこんな状況でも、たくさん人が集まれば、テレレがはじまる。

アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイあたりでは、お茶はマテ茶が一般的。専用の小ぶりのコップにお茶の葉っぱをどさっと入れ、ボンビージャという茶漉し付ストローをさし、お湯を注いで完成。お湯を足しながら、ひとつのコップをそこにいる人みんなで回し飲む。暑いパラグアイでは、マテの茶葉にミントやレモンなどフレイバーをつけ、冷たい水をそそいで飲む。この冷たーいやつをパラグアイではテレレウって言うんだ(ウ=冷水、という意味)。

パラグアイに住む人はどこに行くにも、冷たい水をいれる水筒がついたテレレのセットを持ち歩いている。今回は一番若いペルーの若者が、みんなに注いで回る接待役。

時間はいくらでもあるから、日本のことを教えたり、パラグアイの言葉(スペイン語の他にグアラニー語という先住民以来の言葉がある)を教わったり、思いがけず素敵な時間を過ごしてしまった。

故障から6時間後、みんなの拍手の中バスは再出発。
ハクーー!!(暑いっ!)

※あまり情報がなさそうなので・・・アスンシオン(パラグアイ)~サンタクルス(ボリビア)行きのバス
  RIO PARAGUAYという会社が毎日19:00発、交渉後21万グアラニー(≒44ドル)。故障がなければ翌日17:00着。道はIBIBOBO国境付近の70㎞の悪路を除けばまぁまぁ普通。2008年11月21日現在

※アスンシオン(パラグアイ)~サンタクルス(ボリビア)間の国境・IBIBOBOでは、ボリビア側でワイロを要求されることがある模様。元々は、本来30日しかもらえない滞在期間を、お金を払えば90日にしてあげるという、国境の審査官と旅行者との裏取引が起源な気がするのだが、今はエスカレートしている。うちらは「スペイン語がわからないふり」をひたすら続けることで脱出。後からいろんな人に「いくら払った?」と訊かれた。

追伸:コメントをいただいた方、現在いるボリビアではなぜかコメントの書き込みができません。なんとか返事を書きたいものなのですが・・・ごめんなさい。

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2008年11月21日 (金)

マタ旅ハジメマシタ

南米の端っこで停滞していた旅が、ようやく動き出しました。

現在地はパラグアイ。
真っ直ぐ続く赤土の道、入道雲、一面のひまわり畑。それに・・・スリ。
のどかな風景は大好きですが、1台のバスに3人もスリがいるんじゃ、ボーっとする暇もありません。

僕らが体験した奴らの手口はこう。
1.「●●に行きたいの?だったらこのバスだよ」と教えてくれ、一緒に乗り込んでくる。
2.バスの運転手に行き先を告げ、お金を払ってる間にバス発車。
3.「おっとっと」という感じで体を押し付けてくる。この時、上着で隠した手をズボンのポケットに突っ込んでいる。

そして、こう。
1.「●●だろ?降りるのここだよ!」と近づいてくる。
2.「これはご親切に」と僕が立ち上がる。バス急停車。
3.「おっとっと」という感じで体を押し付けて・・・・

くどいわっ!!
まぁ、おかげでじっくり手口を見させてもらえたわけですが・・・
せっかくののどかな風景、やっぱりボーっとさせてほしい。

ついでに、ブログのタイトルも変えてみました。
アラサー(around 30)の端くれのくせに何を今更、と言われそうですが。

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2008年8月11日 (月)

世界の最果てにて

南米大陸の先端、マゼラン海峡とドレーク海峡に挟まれたフエゴ島に「世界の果て」と呼ばれる街があります。

南極に最も近い街、ウシュアイア。

その街で、これからの2ヶ月を、宿を手伝いながら過ごせることになりました。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから、バスを乗り継いで50時間。まだ見ぬパタゴニアの、さらに先まで、今夜出発です。

皆さん、会いにきてください(笑)
冬期の今なら、犬ぞりに乗れるそうです。

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2008年8月 1日 (金)

イースター島で人生初の●●に乗る

近況報告ついでに、こんな話。

2年と少し前、旅に出る前の僕は、東京で雑誌の編集という仕事をしていたわけで。
「日本では何していたの?」という質問に、さてスペイン語では何て言うんだろうと考えながら、その当時はわからなかったことに、ふと答えを見つけてしまったり、することもある。

大学を出て初めて勤めた会社。
内定の通知が届いたときは、僕よりも母親が喜んでくれた。

3年間働いた後、辞めてしまったことに後悔はないけれど、その前にもっともっと、目をかけてくれたあの人に一生懸命話せばよかった。たとえあの時には、旅に出たいと思う気持ちが、もやもやしたまま言葉にならなかったとしても。たとえ辞めます、と伝えた時と同じように「馬鹿」と言われようと。

立ち向かうより、賢く立ち回ろうとするのは、いつだって僕の悪い癖なのだ。そしていつも遅くなってから気づく。

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10日前、僕とグリコはチリ領イースター島にいた。
モアイで有名な、と言うかモアイしかないこの島は今の時期、雨季の真っ只中。「8日いたけど1日しか晴れなかった」なんて話もあって、僕らは少し焦っていた。

島に着いた翌日、青く晴れ渡った空を見て、母の戒めを破ってしまったのはそんな事情もあったからかも知れない。レンタカーをシェアする仲間も見つからないまま、僕とグリコは、誘われるように手を出してしまった。禁断の原動機付自転車に。

よくある話かも知れないが昔、原付で怖い目にあったことがあるらしい母は、僕に原付を禁じていた。それを真に受けたわけではないけれど、大学生の時「自転車以外の乗り物は似合わない」と言われた僕は、29歳のこの年まで原付を運転したことがなかった。

レンタル屋のおかあちゃんが、エンジンはこうかけて....ウインカーはこれで....と詳しく説明してくれる。僕とグリコは「日本ではいつも乗ってるけどね」みたいな顔をしながら、内心はすごく、メモをとりたいくらい真剣に耳を傾けていた。

レンタカーよりずいぶん安いという理由と、「自転車と同じっすよー!!」と言っていた誰かの言葉だけを頼りに、言葉も通じぬ異国で人生初の原付に手を出してしまったのは、やはり魔が差したとしか言いようがない。

「じゃ、明日の昼ねー!」とレンタル屋のおかあちゃんに手を振り、そろそろと、本当にそろそろとアクセルを回す。自転車に乗った兄ちゃんが「おいおい、俺の方が速いぜー!!」と笑いかける。いいのだ、マイペース、マイペース、右側通行。案の定、ガタガタ道に入ったところでコントロールを失い、道路わきの溝に突っ込む。

P1190832 痛てて・・・ジーンズの太股をしたたか打ったが幸い人馬とも無事。スピードが遅すぎると車体の重さでふらふらするらしい。次は大丈夫、一生懸命、やればできるさ・・・というわけで人生初、2人乗り、ノーヘル、右側通行の原付は、そのうち元気よく走り出し、モアイをめぐり島一周をしたのでした。

一周約50km、樹木が少なく見晴らしのいいイースター島は、原付で走るととても気持ちよかったー!!

P1190865 調子に乗って翌朝は暗いうちから、15体並んだモアイの背後から朝日が昇るというポイントへ原付を走らせたのですが・・・暗闇に浮かぶモアイは、無言の迫力がぐんと増して怖かった・・・もしやモアイって闇夜に見るものだった?

イースター島の宿
オスタル・プク・ランギ・ウカ Hostal Puku Rangi Uka
値段:交渉次第 キッチン・ガスホットシャワー・空港への送迎有
イースター島の空港にカウンター有。マルタ・トゥキという、顔は怖いが気はとっても優しいおばちゃんが立っている。値段は「ひみつ」だが、交渉次第でキャンプ・ミヒノア(テント1人5000P≒10US$)以下で普通の部屋を借りることも可能。交渉は人気のないところの方が有利に進む。宿から中心地まで徒歩約5分。

イースター島のレンタル原付屋
大通りのフェリア(市場)の向かいの土産物屋兼レンタバイク屋で15,000P→12,000Pに値切ってレンタル。車の相場はオフィスで30,000~35,000P、街中で声を掛ければ25,000Pというところもあった(全てガソリン抜き24hの値段)。ガソリン価格は1ℓ570P ディーゼル1ℓ490Pと日本より低価格。

イースター島のおさいふ事情
サンティアゴ⇔イースター島の航空券はLAN航空で。オフィスでも買えるが、LANのHPで調べるとキャンペーンで500US$前後で見つかることもある。世界一周航空券ワン・ワールドでオーストラリア⇔イースター島⇔南米などのルートが組めるため、それで来ている人も多かった。
小さなスーパーは島の中心にたくさんあるがイースター島の物価は、南米で1、2位を争う高物価のチリ本土より、さらに2倍程高い。野菜やパスタ、米など本土から運び、キッチン付の宿で自炊・・・というのがパッカーの定番。もちろんワインも持参で。

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2008年7月30日 (水)

地球の真裏にワインの雨が降る

日本が暑~い暑~い夏を迎えている頃・・・

7月10日、季節と時計が逆になる地球の真裏にて、出発後2年の記念日を迎えました。

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南米ボリビアにて、突如3か月の旅休止(沈没とも言う)を起こした後、7月に入ってから

世界で一番高いところにある銀山ポトシ(富士山頂に東京タワーを建てたより高い)→マイナス25℃、厳寒のウユニ塩湖→細長いチリ→南米沖4000km、モアイのイースター島→吹雪のアンデス山脈越えでアルゼンチン、と順調に旅を続けています。

記念日の7月10日はチリに入った次の日で、有名なチリワインを買ってきて、宿でひっそり祝っておりました。

お酒も弱々、ワインのこともよく知らない夫婦ですが、おいしくて安くて有名なチリ&アルゼンチンで味をおぼえようぜ! と「2日で1本!」を合言葉に飲んでいます。何でも南米には、ヨーロッパでは病気で死滅したワイン用ブドウの原種が残っていて、チリ&アルゼンチンのワインに使われているそうです(『部長 島耕作』参照)。

さらに、先日アルゼンチンに入り、これからは牛肉の研究に励む予定。

中東、中南米で丸のままの鶏を毎日のように食べ、どこの部位がどんな味か、どう食べればきれいに食べれるか、反射的に手が動いてしまう私たち。キロ500円以下で牛肉が手に入るアルゼンチンで、これの牛肉版をやろうと目論んでいる次第です。

とりあえず、3年目のご挨拶&近況報告でした。今年もよろしくお願いします♪

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2008年6月27日 (金)

T.K.G.

日本でたまごかけご飯が流行っているらしい。
この種の話の実質度を測りがたいのが日本を離れて2年のつらさ(前回流行っていると聞いた食べ物は牛乳ラーメンだった)。

だが、ご飯とたまごとしょう油という、世にもシンプルなたまごかけご飯、実はかなり日本オリジナルな食べ物なのだ。

「あ、材料?」という点から攻めたあなた、それは不正解。
たしかに日本米はハードルが高いが、日本産にこだわらなければ米は世界中どこでも手に入る。ここ南米の食堂でインディヘナが食べている主食も米なのだ。
しょう油も今やかなりポピュラー。少し甘めの中国しょう油に範囲を広げたら、手に入らないことは稀だろう。かえって中国しょう油の方がたまごかけご飯には合うかも・・・?

では、何が日本オリジナルなのか?
それは、たまごを生のまま食べるという点。

2年間旅をしていて、たまごを生で食べる文化にはあったことがない。
いちばん生に近かったのが、フランスで友だちの田舎の家に招待されて、裏庭でその日にとれたたまごを、かなりゆるめの半熟たまごにしてスプーンですくって食べたとき。細く切ったフランスパンをつけたりして、とってもおいしかった・・・じゃなくて、そのときも友だちカップルの女性の方は、妊娠しているからと食べなかった(同じ理由で彼女はスシも食べなかった)。また、スーパーで買ったたまごじゃこの食べ方はしないのよ、とも言っていた。

それ以外、孵化しかけのたまごをゆでて食べるベトナム/カンボジアでさえ、生のたまごを食べるのは見たことがない。

これには日本の徹底した「殺菌体制」がかかわっているように思う。

日本でも時々ニュースになるように、たまごにはサルモネラ菌という強力な腹下しがついていることがある。そのため日本では洗浄・殺菌してから出荷しているが、それはもちろん日本だけの話。サルモネラ菌は加熱すれば退治できるから、生食の習慣がない世界では生まれたたまごはそのまま店先に並ぶことになる。

実は、洗浄・殺菌のため日本が失っているものもある。たまごの「もち」だ。
たまごは、生まれたときは特殊な膜に守られていて(と言って見てもわからない)その膜があるため、本来は常温で1か月やそこら放置してもくさらないそうだ。しかし、その膜を洗い流してしまう日本では、たまごの賞味期限は7~10日となっている。

え~~~、という訳で・・・

怖くて食べられないたまごご飯(うちではそう呼んでいた)は、僕とグリコにとって帰ったらいちばんに食べたいものリストに入っている。納豆ご飯、たまごご飯、おかかにぎりがリストの上位3品だ。
僕らのリストでは、成田空港の(あるいは関空の)ゲートを通ってコンビニに直行し、その後駅そばに立ち寄り、夜の食事を迎えるまでシュミレーションは完璧だ。そのとき、サイドメニューにすきやきがあったりしても、それは別にやぶさかではない。

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2008年6月23日 (月)

【コスタリカ】 ヤドクガエルに会いたくて

コスタリカ―――豊かな海岸、というスペイン語の意味を知らない頃から、この国の名前は僕にキラキラと明るいものを思い浮かべさせた。軍隊の放棄。国立公園という動植物の楽園、それを活かしたエコツーリズム。見事にコントロールされ、磨きあげられたイメージは中米諸国の中で(あるいは世界の中での)この国の独自性を際立たせた。その先進性はまた、物価にも正確に反映され、主に貧乏旅行者の反感を買っているが、実感としてはメキシコ並というところである。

コスタリカの首都、サンホセから南西にバスで3時間。
夕焼けの頃に到着すると、マヌエル・アントニオ国立公園の入り口に広がるビーチは、見慣れない楽器を演奏したり、アルテサニア(民芸調の手作りアクセサリー)を並べたヒッピーさんが列をなして、さながらインドのゴアのような雰囲気だった。

「ベッドに入るときは
さそりや毒蜘蛛に注意。
刺されても責任はとれません 宿主」

と、クレイジーな貼り紙のあるダブルルームは一泊20ドル。

「ALL YOU CAN EAT!! 宿主」

と貼った食堂に降りると、出てくるのは皿に山盛りのミートソース・スパゲティー。食べ放題ってこのことか・・・。
中米にしては高めの値段と、他と変わらない中米クオリティー。お金の無い旅行者が急ぎ足で通過するのもわかるけど、コスタリカに来て動物を見に行かないなんて!!

グリコと僕の一番のお目当てはヤドクガエル。ルビーのように真っ赤で、かわいくて、からだの表面から分泌する毒はほんのわずかで大人の人間を死に到らしめるという。ジャングルの原住民が狩りの矢に塗って鳥や動物をとるのに使うという話だ。ちなみに動物を殺したり麻痺させた毒が、なぜその動物を食べる人を殺さないのかと言えば、毒が傷から入るのと、口を経て入るのでは、同じ毒でも効き目が違うからだと読んだことがある。

翌朝、部屋の前に置いたテーブルで、旅行に出てから1日も欠かしていない日記&家計簿(どちらがメインかと言えば家計簿&日記だが・・・)をつけていた。グリコは、夜の間にさそりに刺されることはなかったが、大量のスパゲティに胃を痛めていたから起きるのを待っていたのだ。野性の動物が活発に行動するのは夜間と早朝、これ常識。失われていく貴重な時間にイライラしていた僕の前を、一羽のハチドリが横切った。ハチのように小さいくせに、鳥類の中で唯一ホバリング(空中停止)して花の蜜を吸う鳥だ・・・

実は、昨日この街にくるときに渡った川の中に一瞬ワニらしき姿を目撃した。バスの中からだったし、ほんの一瞬だったので半信半疑だったのだが、ハチドリを見た瞬間確信した。僕に動物運がめぐってきている。

08 しかし、その運をもってしても国立公園でヤドクガエルを見つけることは困難だった。子供の頃の経験上、動いたり音をたてたりする生き物は見つけやすい。数種類のサルや木ねずみのようなやつ、アライグマ、イグアナ、海の中ではナポレオンフィッシュなど。動いたり音をたてなくても、ガイドの視線をたどっていけば、人生初の生ナマケモノを発見することも容易だった。

00 しかし爬虫類は音をたてないし、赤くて目立ったとしても小さすぎた。失意の中ジャングルを歩く僕らの目の前の葉っぱに、とかげが一匹躍り出た。明らかにカメラ目線でポーズを決め、決して逃げようとしない彼の姿は、ヤドクガエルに会えなかった僕らを励ましているとしか思えなかった。うれしかった。

動物運に、そして国立公園の動物たちに感謝しつつ戻った僕たちを待っていたのは、食料を狙ったリスザルの群れに襲撃されている間抜けな宿の姿だった。

コスタリカ写真集はこちら!!

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